最後の一葉

作家兼ライター・柴田花蓮のブログ。既刊案内や配信予定作品の紹介、その他近況報告等がメインです。

改めまして、子育て

既に六歳児の母親だっていうのに今更「子育てについて」かよ、とお思いかと思いますが、考えてみれば母親になってまだ六年。六年ですよ。おぎゃーと生まれた赤ちゃんがやっと小学生になって学校で勉強を始めた、自分で着替えが出来るようになってお風呂も一人で入れるようになったのと同じ。まだまだ母親としては初心者マーク同然です。

 実際のところ

 

子供が本当に小さかった頃、仕事と子育ての両立や、更に+αで書くお仕事もしていたのもあり、正直、気持ちに余裕がない時もありました。それに加え、ちゃんと母親をできているのだろうか、他の人に比べたら、全然子供も見れていないなあ――等々、自己嫌悪に陥る時もありまして。加えて子供が反抗期(特にイヤイヤ期~何を言っても「なんで?」「ヤダ!」という小生意気になってくる年長期)に差し掛かると、もう毎日が戦争のようで。書くお仕事を進めなくてはいけないのに、もう残りのHPゼロ。子供が寝る時に一緒に寝てしまったこともしばしばでした。

でも、やらなきゃいかん

 

でも、毎日は過ぎていくわけで。どんなに愚痴ろうが嘆こうが、日々過ぎていくのです。一番きつかったのは、本職の方で海外に行かなくちゃいけなくて、外国からの帰国日の翌日子供の三者面談で、更に翌日からまた本職で出張とか会議とか続いて。私が居ない間は実家の母が来てくれていたけれど、居なかった分、子供も旦那も(小さい子供と大きい子供ですな)がべったりで。家で書く方の仕事を進めたかったのにそれも満足にできなくて、結局時間が足りずに徹夜でこなしていく(でも休めない)。勿論土日何て自分の自由な時間なんてない。家族みんなでいる時は家族優先。もう、ほんとにボロボロですよ。おかげで心臓患いましたから。

休めばいい、と思われるけど、家庭を持っていると早々休めないもんです。家族に気にしないで自分の好きなことをやればいいと思うかもしれないけど、それが出来る性格でもない。普段出来ない分、子供と遊んでやりたい、何かしてやりたいとも思いますし。

してやりたい→してやると結果的に色々時間圧迫→圧迫した分を何とかこなす→休みたい、でもしてやりたいし…(以下ループ)

 

そんな中、ある日ふと、気が付きました。それが、「だってまだ母親歴たったの数年じゃん」ということ。

完璧なんて出来るわけがない。寧ろそんな人、いる?

 

六歳の息子が第一子なので、現在の私は母親六年目。つまり六歳児と同じわけです。当時は子供がまだ四歳、五歳くらいだったから、母親としても年中・年長さんくらいです。年中・年長の頃の子供を思い出してみると、運動会で一生懸命やってる姿をみたら涙が出ちゃったり、何となく人かな~、というような絵を描けるようになってきたり、ひらがなで何とか文を書けるようになって、みたいな状態です。生まれて五年の子供がそんな状態なら、母親になって五年の女も、似たようなもんじゃないかと。ふと思ったのです。それにほら、言いませんでしたか?選挙に参加年齢が18歳になった時、「18歳なんてまだ子供じゃない。政治なんてわかるの?」って。18歳でもまだまだ世間知らずの子供ですよ。六歳なんてどうなるでしょう。ね、そう言うことです。

考えてみると、どこかで「完璧な母」というのを勝手に目指していたのかも。「~でなければだめ!」「こうしなきゃだめ!」と、自分で勝手に枷をつけて。子供が言うことを聞かないから怒る。もう、そりゃヒステリックに怒る…まではいかないけど、ついきつい口調になることも多分あったと思います。

完璧にできるわけがないのに。だって、まだたった数年ですよ。母親になって。

経験浅い、失敗多いは当たり前なわけで。それこそ子供と一緒に成長していく感じでいいじゃない。ある日突然、そんなことを思ったのです。そうしたら肩の力が抜けたというか。それと同時に、子供にあれこれ細かく言わなくもなりました。何か反抗期で喚いていても、一緒にヒートアップして喧嘩もしなくなり、「あー、もうこいつ、こんな事言うようになったんだなあ、成長したなあ」くらいに流せるようになりました。

仕事量というか、私が抱えているタスクはそれほど変わりませんが、気持ちの切り替えが上手くいったことで、だいぶ精神的に楽になったというか、上手く色々と回るようにもなりました。

損する性格の持ち主でも、割り切ればそれはある意味「得」

 

残念なことに、私は世渡りがそんな上手くないです。

世の中には、いつも誰かに助けてもらいながら何となく物事を乗り切ることが出来るタイプの人間と、どうにもこうにも一匹狼よろしく、自分からも助けを求めるのが苦手だし、周りも色んな意味で手助けしてくれないタイプの人間が居ます。私は間違いなく後者。損ですよね。でも、そういう性格でもううん十年生きているので、自分がそういうタイプだと知っていれば他人に妙な期待もしませんし、困難に対しての打開策をなんとか自分で見つけようともがきます。それはある意味得なのかもしれないです。何故なら、本当に一人ですべてを解決しなければいけない時、どうすればそれが出来るのかを、それまでの経験から導き出すことが出来るから。何事も、最後は自分で結論を出すものです。

慌てない、あわてない。

 

焦ったところで何も上手くいかないように、子育ても同じなんですよね。ああしなきゃ、こうしなきゃ、と一人で焦ったところで、ろくなことになりませんから。それに自分にもそうですけど、生まれてたった数年の子供に完璧を求めたところで出来るわけがない。自分だって、母親になってまだ数年なのにね。

そう思えば、子供が言うこときいてくれなくても腹も立たないというか。「あ、こんな事言ってる。よし、じゃあこう返してやるぞ」と、今まで思いつかなかった発想もでてくるようになりました。一休さんのように一休みは出来ないけど、それでもだいぶ楽になりました。

 

あれこれ全部背負うのではなく、抜くところは抜いて、むしろドンと構える。焦った時こそ、深呼吸。

状況的に、相談相手がなかなか見つからないママさんもいるでしょう。よくある「ママ友に相談!」て、全員が全員そういうのが出来る人間じゃねーんだよ! つーか、昼間集まって話せるほど時間なんてねーし! と突っ込みを入れたくなることもありますが、相談できない環境のかたこそ、この一休方式(命名)を試してみたらいいんじゃないでしょうか。

ちなみに上記突っ込みを入れているような私も、子供が小学生になったらお母さんたちとは情報交換したりあれやこれやでちゃんとコミュニケーションとってます。

ママさんは、「一人でいること、一人でなんでもこなすこと」に慣れるのも重要かなと思います。今はママ友なんていない・・・という人も、子供が小学校になればそれなりに交流は出来ますから。ママ友カーストなる言葉が以前はやりましたけど、第三者から見れば「なんて狭い世界でくだらないことを」ですよ。ママの立場でもそう思います。

そういうわけで、子育ての事をママ友とゆっくり話す暇は依然としてないのですが、何とか気軽にやっていけるのは、やっぱ一休方式に自分が慣れているせいかもしれませんね。